throughput
単位時間あたりの処理能力風神
スループット

throughput(単位時間あたりの処理能力)

例えばコンピュータの心臓部であるプロセッサには固有の能力があり、その能力を計る方法として、一定の作業を単位時間あたりにどれくらいこなせるかという単位がある。スループットというコトバがあり、そのような「単位時間あたりの処理能力」を示すコトバである。これは処理の内容によって表示単位は違うので「度量衡」の単位ではない。つまり、ざっくり言うときの言い方と思っていい。「あんたさあ、どれくらいできんのー?」という言い方である。

上記のコトバのように当然ヒトにもこのスループットは存在する。私は父の影響かしゃべりがとてもゆっくりだ。普通の方がしゃべるスピードが民放のニュースだとすると、私のしゃべりはNHKのニュース並だ(爆)。いやもうちょっと遅い。ある意味眠くなる(爆)。戦場カメラマンほどじゃないけれど・・・。しかし自分の名誉のためにあえて言うならば(笑)、これはヒトの事を慮ってゆっくり解りやすく喋っているつもりがしみ込み、いつもそうなってしまっただけだ。断じて自分の頭の中のスループットがゆっくりな訳ではない。そこまで頑強に否定する事もないのだが・・・。

時間

多分純粋な「処理もの」は人間少々齢を重ねるとスループットが落ちていくのは仕方ないかも知れない。プロセッサ自身の能力が落ちてきているのだから理解は出来る。「経験則によって中途処理をパスする強引結論系」は早くなる。しかしそれは「飛ばしているだけ」なので処理が早い訳じゃない。この事は次の事態を引き起こす。

「40過ぎると、毎年時が経つのが早くなってくるのよねえ・・・・」同じ事をするのにも時間がかかるようになれば、時間感覚は「絶対感覚」ではなく「相対感覚」だ。それゆえ、時は加速して進んでいくように感じ始める。悲しい事に「時間感覚の加齢による加速感覚は正しい」。幼少の頃を思い出してみたまえ「5分」という時間さえ、とてつもなく永く感じた事はないか?その頃の君の頭の中の脳細胞を駆け巡る信号のスピードとそのパケットの量はきっと凄かったのだよ。

同じく幼少の頃、「4年に一度天から天女が舞い降り、1M四方の石をその羽衣でふわりとなでる」その事によって少しだけその石は削られ、少し石は小さくなる。そして、その行為を4年に一度繰り返す事によってやがてその石はなくなってしまう時がやってくる。その時間の単位を「1ゴウ(漢字は思い出せない)と言う。中国の時間の単位の話を本で読んだ時、そのあまりに耐えられない永い時の事を考えて泣き出してしまった記憶がある。少年には永い永い時は耐えられないのだ。ある学者が戯れにその時間を計算したら「地球が出来てからちょうど今くらい」だそうだ。そうか、そんな永い時も無限ではなく有限なのだな。(46億年)しかしその頃46億年は少年には耐えられない永い時間だった(爆)。

ちなみに教えておくが「光年」は時間の単位ではなく「距離」の単位だ。「ひかりが1ねんかかってとうたつするきょり(9.4605284 × 1015 メートル)」だ。(余談)

さて、スループットを取り戻す手がある。実は人間の脳はスパコン並みの処理能力を持っていて、しかもスパコンにすら出来ない「ファジーな論理付けによる超高速の処理」に長けていることと、実際の生活の中ではその能力のわずかしか使っていないために、加齢によるスループット低下よりも、鍛える事によるスループット向上の方で能力低下を凌駕する事が出来るというものだ。これも理論的には正しいが、多分加齢による日常的時間の加速感を低下させる事は出来ないように思う。

単位時間あたりの処理能力は「時間感覚」と密接に結びついている。

という私の仮説でした(爆)。

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