architecture
for
humanity


architecture for humanity
人類のための建築

アメリカのサンフランシスコにある非営利建築家集団「architecture_for_humanity」1999年から活動を続けている。要はそこのプロジェクトを手伝ったりする「デザインフェロー」をやっている。世界中に張り巡らされたネットワークで世界中の被災地や貧困地に「建築家としてお手伝い出来るプログラム」を提供する。その資源は「寄付金」だ。私はこの集団の建築家としての参加方法がとても優れていると考えている。その活動プログラムの中に「建築家」としての能力を発揮する事が出来る仕掛けが含まれているからだ。

東北の被災地を救うためにいろいろな活動が行われているのはご存知の通りだ。しかし、いくつかのプロジェクトに「設計活動」としてのプロボノ活動を行って来たが、日本って「建築」に対してどうしてこんなに知識や理解がないのだろうと本当にがっかりする事にばかり遭遇する。とりわけ多いのは世間の建築に対する認識は「建築」という事ではなく「建設工事」という断面についての認識しかしていない。それを最も象徴する出来事に出くわした。

震災で流れ新たに新築されている小学校があり、その校庭の敷地の中に、親が働いていて下校後も家庭に保護者がいない児童のための「学童保育所」を、「保険会社」がスポンサーとなって、作ろうという事になった。そこでいくつかの建設会社に「どのような施設をどんな金額で作ってくれますか」という流れで仕事の打診がいく。もうその時点でぐちゃぐちゃです。こんな事態でも建設会社は仕事を取るために色々な手を使ってくる。スポンサー側も出来るだけ低い金額で複数作りたい。その事自体は、より多くの被災者に幸せになって頂きたいのでいいのだが、複数の建設会社に投げる時点では「どのようなものをどう作るか」は決まっていないと話は纏まらない。そこに行くまでに建築家に相談すべきなのだ。

結果的に「児童のためにデザインし、子供たちの未来を考えた事」よりも「安い工事費」が優先され、ただの箱が作られていく事になる。安いが一番。とりあえず作ることが出来、予算が消化され「私たちの寄付でこの施設が出来ました」とアピール出来ればいいのだ。まるで、仮設住宅の利権戦争よりはましだが、その仕事に有象無象が群がり、とりあえず箱を作るという姿勢が気持ちを萎えさせる。日本総国民「建築IQ」世界最低レベルだという事を自然と感じる瞬間だ。

「architecture_for_humanity」の活動の基本的スタンスはこうだ。
1.被災者や建築困窮者地域に対して、その地域の方々から、被災者自身が考えた「希望プログラム」を提出して頂く。

2.会議にかけ、その中から「地域を助ける総合性」に優れたプランを、予算の許す範囲でいくつか選択し実行事業とする。どうしてもすべてに対応する事はこのような大災害では難しい。

3.実行するものは「建築物」が絡んだものだけだ。建築家の集団だから「建築」についての支援をする。ただし、ただ上ものを作るという事だけではなく、例えばアフリカの住居に困っている地域では「建築資材を生産し、住宅を造る技術を教え、地域が自助努力でその後も活動を続けられる状態に持っていく」事もある。

4.そのシステムを組むために世界中の建築家の「デザインフェロー」が知恵を出し合う。その出し合った知恵の中で優れたものを適用していく。設計活動は「プロボノ」だ。

かくして、優れたプランが、寄付で集められた資源を最大限に有効に使いながら、次の時代にも活かすプログラムを含んで実行される。
実はこのシステム「インターネット」があってこそ生まれたシステムでもある。インターネットは多く、人類にも貢献している。

そうやってこそ「建築家」の知恵は活かされる。建築系で寄付を考えるなら「architecture_for_humanity」に頼んでみたらどうですか?

「御社のコンテナはいくらですか?すぐ作れますか?プレファブより安いですか?東北に持っていけますか?いっぺんに何台くらい作れますか?、○×な施設を作ろうと思っていて、土地は確保しました、○×くらいの価格で作ってくれまへんか?そうすれば収支会うし、もうかりまっせ。」

「いやだ」(爆)善行に身を隠した悪魔を官僚も含め今回は沢山見すぎた。

あなた様は何してるの?何がしたいの?震災ブローカー?火事場泥棒?そんな電話は逃げ出したくなる。
本当に役立つシステムはいろいろ考えて来た。気持ちのいい方々と仕事がしたい。

architectureforhumanity

archimetal.jp