幾千の夜を越えて
または「いつか見た青空」

幾千の夜を越えて
または「いつか見た青空」

今回は特に沖縄基地に対するごく一部の「私見」です。特に読みたくないという方は読まないでください。そして、あなたの意見が聞きたい訳でもありません。ここはインターネット上の私のサーバーのデータのアーカイブです。読みに来たのはあなた。私は「放送」のように世間に対して垂れ流しているのではなく、あなたがブラウザー上で「GET」という命令文を私のサーバに向けて発信し(クリックし)、私のサーバーからこのデータをあなたの意思でダウンロードした結果、今そこにあるあなたのブラウザーに表示しているという、あなたの意思に対応した「通信」の世界の概念です。

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実はもう2万以上の夜を越えて来た(爆)。日本国に棲息し、高度成長期を過ごし、大きな変化を見て来た者の一人になってしまった。自分自身の生活も激動であった。そしてまた日本国も世界も大きな転換点に遭遇している。しかしながら意外と日本国民は鷹揚に生きている。民放の放送局も経済的論理のみで、のんきなお笑いやバラエティーの番組ばかりを放送し、自らの使命など忘却の彼方だ(爆)。インターネットの方が今や面白いぞ、刺激的だ。しかし、きちんと読みこなす能力は必要だ。スティーブジョブスが残したiTunes Uをもう試してみましたか?世界中の大学の講義が、もちろん一部だが視聴する事が出来る。MITも東大も、ハーバードもだ。しかも無料で。まさに放送局の体たらく(爆)。IT技術は教育の機会も平等にしつつあるほどの革命を続けている。まだまだ先進社会は米国なのか?

戦後、敗戦とともに日本は米国と同盟関係を結び、その結果軍国主義、帝国主義から「民主化」の道を辿り、経済成長も欧米化の中で実現して来た。大きな犠牲の後に屍を越えて生まれた道だ。米国が戦争の勝利者でありながら、民主化の道を選び、文字通り占領された国土とされてしまったのは不幸にも沖縄で、それは地理的に、地域戦略的には確かに重要拠点である事は間違いない地域であったからだ。それゆえ、日本政府は沖縄返還後も沖縄地域に対して大きな保証、保障、補償を続けなければならない事になった。それは歴史の脈絡からすれば、当然そうしてしかるべきだろう。その方法に私は少々異論は持っている。少々消費的な事にばかり予算が回されすぎるのだ。活きた金の使い方、生産的社会へ向かわせるベクトルを持った使い方ではなく、時間の流れとともに地域の一部の人間の「既得権益」に変化する構造を持っている使い方なのだ。しかし、すべき事はしなくてはならない。

沖縄には一方で、それまでの歴史的流れに琉球王国時代の脈絡が存在した。琉球王国自体の統一するための戦いでの古い時代の流れ、その頃の中国との関係、比較的近代の薩摩藩との戦い、日本への統合、常に戦いの中に巻き込まれて来た地域だ。戦後、今度はさらに大きなスケールで世界的な戦略地域の位置付けがされ、文民は翻弄されて来た。きわめて不幸な出来事である事は事実であるが、地理的に現在の世界重要戦略的位置である事も実際否定出来ない大きな事実である。

1945年から2012年の今日に至る中で米国は沖縄占領状態を返還(1972年)したものの、基地は依然として沖縄本島の面積の20%近くを占めている。沖縄県民にとってはこの、他県に比しての大きな負担をもっとなんとかして欲しいというのは当然の気持ちであろう。しかし、この事実を打開する方法は相当困難な道にしか見えない。それはその地域性からして代替地を見つけるのは不可能としか思えないからだ。

さて、米国側から見た状況でいえば、若い兵士たちにとってみれば「行きたくない場所」に違いない。士官たちではない「兵士」にとっては「前線に送り出される控えの場所」である。昨今の米軍がかかわる「戦地」に行く兵士たちが100人いるとすると、10人は帰らぬ人に、10人は負傷をし、20人は精神的障害を帯びて帰り、普通に帰還出来る者は6割と聞く。派兵数と米軍の戦死者をチェックするとあながち大仰に言った数字でもない。ベトナム時代はもっと凄惨だったろう。それらの戦いが日本にとっても有意義な事であるかどうかは定かではない。アフガンなどにも出兵しているのだろう。しかし、現実にかつての冷戦時代にソ連や、中国からの脅威からは確かに抑止力となっていた事も想像に難くない。

話は変わるが、基地の中には「アメリカンコミュニティー」が形成されている。基地の中は「OKINAWA」ではなく、AMERICAN_CITYだ。デザインコードはリトルアメリカ。軍事施設も、教育施設も、軍人の家族生活のためのスーパーのようなショッピングセンターも、フードコートも、子供たちのための小学校からハイスクールまで存在する。それらはすべてアメリカンデザインだ。居住のための基地内マンション(宿舎)も点在している。多くの基地居住者はあまり外には出ないらしい。言葉の問題があるし、外に出ても楽しめないからだ。それゆえ、法的にもそうだが「日本感覚ではなく基地内はアメリカ」としてとらえられている。ショップにはいくつか「日本から帰還する時のお土産屋」なども存在するが、そこの品揃えは浅草などと同じ少し奇妙な日本趣味が反映されている。

OKINAWAの基地に配属された者はここで、アメリカに帰国した時に手に入れられるクルマなどを税抜きそしてそれ以上に「福利厚生的に」買う事が出来る(ここではお金を払うだけ、沖縄で手に入る訳ではなく、帰国したら手に入る)。基地での生活にはあまりお金は必要ではないので、その間の給与でクルマなどを買うという。前線に送り込まれた者の特権である。米国も高い失業率が下がらないという実情から、生活のために志願し、兵隊になる者も多いので、安く手に入る時に買っておこうという具合だ。無事帰国出来ればよいがと思う。そしてそれがとても重くのしかかる現実なのだ。

フードコートなどには米国のフランチャイズ店が軒並み入っている。有名どころのFC店で、それを運営するのは全世界の基地の飲食やショップを面倒見ている組織だ。総合売上は強烈な数字を誇る。フランチャイズ店は米国でおなじみの店は大体入っていて、10種類くらいのショップだ。しかし、基地の人々はみんな「飽きちゃった」(爆)そうである。サイズなどは米国と同じアメリカンサイズ。バーガーキングも日本のサイズではない。私ではとても完食できません。沖縄地元企業のA&W(エンダー)も入っているが、商品は特別なアメリカンサイズ。厨房はすべてオール電化、「電気代は米軍キャンプ内は住居も含めタダ」、その費用は「思いやり予算」で日本が負担するのだそうな。

米国人は甘いものも大好き。シナボン未だに人気です。

基地の中には「両国の政治的思惑」そして、政治的思惑とは関係ない「個人の生活」、基地の中で働きたい日本人(一般より給与が少し高い)。早く米国に帰りたい若い兵士。軍人として戦略を画策する高級士官、様々な人生が折り混ざったメルティングポッドだ。命の不安がつきまとう若い兵士の横顔は決して晴れやかでない者も多いような気がする。また、とりわけ女性兵士が多いのも米国ならではだ。同盟国米国が国際的動きの中で、決して日本と関係のない活動もしているのだろうが、国策として現実に生死を左右する場所に送り込まれる兵士たちを見ていると、戦争そのものが消滅する事を願う一人ではあるが、私は基地不要論を唱えるほどの知識と知恵と変革力はない。

日本の現代の夜明けは終戦とともに始まり、世界的にも驚異的な進展を見せた。それが陰って行く時代になり、大きな災害(3.11)とともに日本再生の道を探らねばならぬ時代になってしまった。その方法を私は自分なりに本気で探っている。陰り行く日本を見たくはない。いつか見た青空を再び見上げられるようサスティナブルな時代を築くために行うべき事は何なのか、色々なジャンルで考えて行きたいと願っている。

今度配備されるオスプレイ

基地内に入る時に作ってもらったワンデイゲストパス。
同盟国との関係を少し具体的に考えるきっかけにはなっていきそうだ。

archimetal.jp