飲み屋のおねーさんが消費されていくもの

飲み屋のおねーさんが消費されていくもの
飲み屋のおねーさんの店で消費されるのは、オトコのサイフだけなのか

記号学で示されるように言語は万能でなく、万人に受け入れられているシニフィアンを再生産するときに限り意思疎通が可能である。調子のいいオヤジがキャバクラやクラブで、おねーさんを座らせ、おしゃべりをしながら酒を飲む時、消費されているのはオヤジの財布の中身だけではなく、実はおねーさん自身も消費されているかも知れないという試論です。

昨今はおねーさんがいる店だけではなく、ホストクラブという女性向けの歓楽施設もあるが、まだまだ、何時の世でも人気の衰えない「女性が男性の聞き役をしてくれる店」は世界中に散在している。比較的世の男性はそれらの店の事が嫌いではない場合が多い。遠慮する殿方は、奥さんに叱られるとか、他の排他的要素に阻まれて遠慮する方が多い。今回は比較的おとなしい、過剰にセクシャルな方向とは違うまともな?クラブなどに特化した話として話を進めてみよう。若くて奇麗なおねーさんが話し相手をしてくれるのだからオトコたちは喜ぶのは無理もないだろう。日頃はそんな訳にはいかず、「オヤジなんかと話してられっかよ」と思っている女性たちが、話を聞き反応してくれる。「対価」を払っているのだからしょうがないって、おねーさんも笑顔で話を聞き応えてくれる。しかも、ちょっと色気さえ漂わせ、胸の辺りの谷間を見せながら話を聞いてくれるのである。会社では部下からも突き上げられ、上司からは成績を嗜められ、家に帰ればおかーちゃんにやり込められるのだから、そんな、にこにこで話を聞いてくれる場所は天国だ。たまにはそんな気分も味わいたいのは良く解る話だ。しかしその対価はそれなりに高額だ(爆)。それでもオトコたちはそんな店に時々通う。悲しい生き物だ。

おねーさん側の整理をしてみよう。基本一般的レベルより「麗人」でなければならない。何が基準になっているのか不思議な世界だが、なんとなくその基準をクリアしたおねーさんでないと価値がないとされている。また、比較的若い方が喜ばれる。それは「美」と「年齢」にこの世界では一定の関係があるという事が推測出来る、というかふつーそうである事が多いのは割と常識だ(爆)。
この段階で「美人」に相手をして欲しいということは明確だ。つまり女性の「美」に対して「対価」を支払うという契約が成り立っているということだ。また、オトコはそれらの女性を前にすると、比較的寡黙な人間も割と饒舌になる。この行動は心理学上も普通の事で、無意識のうちに「アピール」してしまっているという事だ。悲しいオトコ心のなせるワザだ。しかもすでに「金銭的契約のもとに成り立っている関係」であるにも係らず、懲りずに無意識のうちにアピールするのである。馬鹿だねえ。たったそれだけの事で幸せなオトコたちは、今日も高額の「お相手料」を支払い店を出て行く。

消費された財布の中身は「おねーさんの時給X人数+店の経費+店の持つ美人のおねーさんを集めるチカラなどのソフト料+ドリンク代+おねーさんにねだられたフルーツ代(おねーさんのマージン含む)+店がおねーさんの送り迎えなどに使う経費+あなたがお相手をしてもらっている感謝の気持ちを金銭に替えたもの(爆)」などである。夜働いているのだから帰るタクシー代なども入っている。そりゃ高額になるでしょう。一般的な店で1時間あたり1万円程度。そりゃ銀座などに行けばそんな金額では済まない。

しかし、消費されたものはあなたの財布の中身だけではないかも知れない。あなたは納得してその料金を払っているのだから等価価値交換が成立している。あなたは、ちょっと調子に乗って使いすぎたかなあと思いながらも、生活して行く環境の中で「使い過ぎた」とは思っても、概ねその店に対して払った金額は経験上納得しているはずだ。ここで考えてみたいのは、おねーさん自身が消費されている可能性が高いという話だ。

若い容姿を資本に、また話術を武器に、夜の仕事を選び効率の良い稼ぎを得ようと時給2800円のフロアレディーの仕事を選んだとしましょう。容姿が群を抜いていれば他に「指名料」やナンバーワン手当や、アフターで食事代も浮くしプレゼントももらえるかも知れない。もちろん下心のあるプレゼントだが同じプレゼントを要求しておけば売り飛ばしたって大丈夫だ(爆)。我が世の春を謳歌して色々なものを手に入れ、大きな生産をしている時期もあるかも知れない。残念な事に我が世の春は長くて15年、短いと10年と持ちません。15年も持たせるためには同じ店に勤めていては無理。自分で何かを始めなければなりません。基本同じ流れの店です。ブティックや小物店やまともな飲食店は概ね失敗します。経済構造が違い過ぎて経営出来ないのです。同じ流れの店を始め、若いおねーさんのクローンに稼がせるという方法しかないのです。新たな時代の娘たちに取って代わられてしまうという道が待っているのです。実は、若き時代のおねーさんの容姿や話術が、対価と思っていた金銭額を越えて消費されていたのです。メンテナンスコストや、スキルアップや将来投資額まで考えるとコスト割れしているのです。今更何かのスキルを身につけようとしても根気がありません。アルコールで脳細胞もやられ、もともと弱かった頭もますます弱くなってしまいました。いつの間にかカラダも消費されていたんだね。どうすればいいのかつてのおねーさん。なかなか次のステージが見つからなくなってしまいます。こうなっては完全に社会に消費された人間という事になってしまいます。そんなのずるいやん。なので、道を間違ってはいけません。気質で生きて行く方がやはりいいのです。

しかし、一方で10年経っても、あの時のおじさんはまだまだ会社で働いています。給与も上がって来ました。相変わらずおねーさんのいる店には行きますが、取引先の営業マンが時々連れて行ってくれるので、最近は自分のお金で遊びに行く事もなくなって来て、楽しく仕事ができちゃいます。そんなのずるいやん。おねーさんの店の料金はおじさんの財布だけではなく、社会が受け持つ構造もあったりするんだね。そんな訳でおねーさん。仕事に貴賤はございませんが、一瞬のうちに過ぎて行く春を謳歌して道を選んでしまうと、思った以上に消費されて行くのは自分かも知れないというこの試論はあながち間違っていないかもしれません。

2012/03/05
archimetal.jp